2023.01.18

2023年1月16日

月日朝番。とてもとても静か。雨が降ってきてさらに静か。

『ダルちゃん』のだるだる星人のようになっていて、バケツで自分を運搬したい。ダルちゃんを初めて読んだとき、わかる…となった感覚をひさびさにおもい出した。

Kさんとくらう日記とくらわない日記の話、どこまで書くのか、書いてることでなにか決定的なあかんことが起こるのではという話をする。

人との相性のように日記に好みがあるの当然といえば当然なんだが面白い。わたしは劇場にいるときの日記が大抵誰のことかわかってしまうので書きづらくなって止まってしまうことに話していて気づいた。その辺もっとぼやかす方法をあみ出せばいいのかも。HさんとKさんの日記本楽しみだ。わたしも近いうちにいつか…とお話した。

Aさんと年越しの話。年末はどうでしたかという質問に具体的な答えたあと、身も蓋もない具体的な話でよかったのか…?もっとざっくりした世間話に仕上げてもよかったのかもと思った。ざっくり言うと帰省もせず酔っぱらって寝落ちしただけなので大して変わらなかった。

お祭りや季節の行事が問答無用で止まってしまったことにより、毎年そういうもん、という無意識のながれが止まってしまい改めて立ち上げること、引き継ぐことの大変さ、言葉を選ばずに言ってしまえば面倒さの話を聞く。たとえ略式でも「今年は無理だったけど本来はこう」と言いつつ絶えず続けていることの意味を感じる。そもそも続けなければいけないのかという疑問は別として。

帰りの電車で低気圧により眠気がピークになり寝過ごして一度八王子まで行ってしまい折り返して帰る。

駅で伴侶と待ち合わせて買い物して帰宅。

遅いお昼でブロッコリーのショートパスタを作って食べる。

見逃した去年の岸部露伴を観る。

子どもの演技についていいね、と話したあと「語頭をたてる」演出というか、演技指導はしていそうだね、と話す。あとは子どもの苦手な子音について。おもしろかった。

風呂。シャワーの温度が熱かった。朝は熱いのがすきだけど夜はちょうどいいのがいい。

夜、話していて一つ記憶違いのエピソードが発覚した。伴侶からだったと記憶しているが「AはBのCに対するある発言によりかかわらなくなった」という話が「BはDがCに対してした発言(発言内容は同じ)に憤り、それをAは悲しく思った。今Aが関わってない理由は謎」ということだったらしく、わたしは1年近くBに対する心象を悪くしかも真逆に取り違えていて大混乱した。

原因が突き止められない混乱が最も苦手で反省もできず折り合いもつけられず無限ループに嵌る。ぐるぐる悲しい気持ちを説明している途中に以前浮かれて買った高級な(?)ポテチの袋の切れ端を見つけて聞いたら、伴侶が一人で食べきっていた。「明日買ってくるよ」と言われて負のポイントカードが満タンになった。黙って鍋の用意をして火をかけたあと床に突っ伏して黙り込んだ。

無視はしないようにしつつ、話してるとまたぐらぐらしてくる。そも伴侶がそう言ってないならどこのだれから聞いた話から人物Aがでてきたのか謎すぎてもはや自分の足元自体が信用出来ない気がする。このレベルで確信していたすべての記憶があやしいならわたしはもう人間としてやっていけないよ、というようなことを話す。発言内容がまずすぎて日記にも書いていないし…他の人から聞いてたとしても陰口みたいで確かめるためだけに自分から切り出したくない…気分が悪かった。

再びバケツで自分を運搬したい。

つとめておいしく鍋を食べるもぐったりする。

浮かれて買った特別なポテチをデイリーな消費に単独でされたことも並列で腹立たしかった。

とにかく化粧水を飽きるまで何度も顔につけて気を紛らわした。

ふとんでもまだ一体誰から聞いたんだろう、わたしに話した誰かは勘違いしたままなんじゃないかとぐるぐる話した。「一度ねむりなよ、そしたら切り替えられるよ」と言われて今まで寝て切り替えられたことがほとんどないので、ふんと思った。

 

2023年1月17日(火)

起きても機嫌は悪いまま、というより頭の中で口論が鳴り止まなかった。あなたを責めたいとか謝らせたいから不機嫌なのではなく、解決できないことを置いておけなくてとても困っている。と話しながら駅まで歩いて分かれた。

電車でASDの人の手記を読んで書いてある切り替え方法を試したりメモする。

阪神大震災の記事をRTした。東京出身の友人の発言でいまだに密かに許せていないものがあり、普段忘れていてもこの日と3月11日に思い出してしまう。

月日朝番。三島由紀夫の『裸体と衣装』、立ち読みして気づいたら購入していた。嘘、ちゃんと自明。

ずっと言葉にできていなかった阪神淡路大震災への感情を急に言葉にできて自分でもびっくりした。スマホにとりあえずメモした。

「なんだろうな、ようやく当時自分が大人じゃなかったことを申し訳なく思ってたことに気づいた気がする
分別がまだないほど子どもだったこと、そのせいで人の死や傷に、心を傷めていなかったこと。神戸から少しだけ離れた場所で生きていたこと。

東京の人の大きな地震といえばという質問にまず神戸は出てこないこと、わかる気もするし、でもやっぱり東京が体感できる距離で危機がないと災害を認知されないことにもやもやしてたけど、どこかで自分に怒る資格はないと思っていたのかもな」

当時幼稚園児だった自分自身の記憶は鮮明にはほぼなく、神戸の特別養護老人ホームで働いていた父が何日も帰ってこなかったこと、幼稚園の渡り廊下にヒビが入っていたこと、あとは大人の振り返りの話を聞いて作り上げた架空のというか補完された記憶な気がする。

東京の人への恨みというか中央集権の結果東京へのリスクに重点が置かれた考えの人々への苦い気持ちもさっきの友人の発言を除けば実際のわたしの考えではなく親世代の当時の想いや体験を聞いたことによる影響が大きいのかもしれないな。 

帰りの電車で『話の終わり』

「きちんと整理をつけたいとは思うのだが、私の頭の中はいつも混乱している。一つの考えが別の考えに邪魔されたり、互いに矛盾していたりするうえに、記憶は往々にして捏造され、入れ替わり、省略され、混ざり合う。」うぎゃー。

今年初の歯医者さん。いつもサザンがかかっている。

生理用品を買い足して帰宅。

夕飯を食べながら考えたことを話す。昨日のポテチのお詫びのエアリアルはこれはわたしが厳密に悲しんでることのお詫びじゃないし当分その話はしないでおこう。と話して二人で食べた。