2021.11.25

朝。すごく寒い。

目玉焼きと納豆ご飯。スイートチリソースをかけてみる。納豆ほんとになんでも合うからすごい。

ぼーっとしながらニュースをみたり片づけしたり。

バッグインバッグを検索する。

昼は白菜と柚子の和風スパゲティ。

座組みの全員が開始時間を勘違いする事件発生。あわてて用意して甲府へ。

立ち稽古。

空き時間に改めてキャラクターのストーリー上の機能が一人の人間として主体性を失ってないか話し合い。誰かの自己実現のために存在する人間はいない。(そう振る舞う、それが正しいと信じる人はいる。)が、それが子どもたちにとって初めてみるかもしれない演劇で出会うべき同世代のモデルだとは思えない。宿題。

音楽打ち合わせ。楽しかった。

のち立ち稽古。もうすぐあがってくる歌の歌詞にヒントがありそう。

解散。

電車で群馬の方の台本確認。

帰宅。白菜と玉ねぎ、豆腐の玉子とじを作ってご飯と食べる。

台本の話の流れから「誰かを苦手、もしくは嫌いだ」と認識するときに、相手の行動が許せないのか、相手が帰属する集団や特性が許せないのか、それらが複雑に混ざっているのか認識していないと危険だねという話になる。

要因が複雑になっているときに行動を批判しているつもりで相手のアイデンティティを貶めることは差別だし、気づかない可能性が一番高いので気をつけたい。

それとは別個に誰かを嫌いになるときはいつもその人が胸にいるようで苦しいよね、となり益田ミリの漫画で主人公が人を嫌いになってため息をつく絵を思い出した。

最近日記本を読んでいる伴侶の日記に対するコメントが正直で手厳しくて面白かった。

わたしは布団に入っても思考や過去の出来事が流れ続けて寝つきが悪いけど、伴侶は話の途中でもコンとスイッチが切れたように眠る。客観的に見てとてもおもしろいのとふいに置いて行かれたようで心細くなる。就寝。

 

 

 

2021.11.24

今年一番の冷え込み。布団から顔を出して息を吐くと白い。

頭痛。

この夏梅干しを漬けて残った梅酢に砂糖を足して煮出して干した白菜を漬ける。

もう半分は昆布と塩とお酢、柚子もいれて漬ける。両方に収穫した唐辛子も入れる。

寒く朝暗くなってしまうと睡眠時間がいつも以上に伸びてしまうので、昼番が多いシフトになったときの朝のルーティンを考えないとなと思う。人が変わると場所が変わる。

出発。電車で台本を読む。泣きながら気づいたら新宿。乗り越した。折り返す。早めに出ていてよかった。

月日昼番。連休明けだからか穏やか。途中なんの流れか忘れたけど「去る」という言葉は動作を行う人が完了を見届けることはできないから客観的な言葉だなと思った。いつまでも自分は去れない。

終わりがけに色々あって締め作業ちょっと遅くなる。退勤。

伴侶からのLINEで家の中でわたしのけっこうな不注意が発見された。謝罪。

リストにした戸締りやスイッチ関係は確認して出ただけに自分に心底がっかりして、このまま家に帰りたくないなと思ってしまう。伴侶が寝るまでフヅクエさんで過ごそうか考える。けど伴侶はなにもしてなくて指摘しただけなのに顔を見せないのは失礼すぎるなと思い帰ることにする。去りたい。

帰りの電車で週末のワークショップの進捗を確認。連絡。

ある高齢の参加者から新しく入った参加者への、慣れないLINEを震える手で操作するから誤字脱字が多いけれど、とても誠実な歓迎メッセージに勝手に慰められる。

帰って子どもみたいに泣きながら謝って泣き止んでごはん。「どれのこと?あれ?大丈夫だよ」とすっかり過ぎたこと対応してくれてありがたかった。

フヅクエさんにはもっと前向きな理由でまた今度ゆっくり行こう。

夜は小さい味噌鍋に納豆ごはん。ビール。

風呂。

湯船で思えば行きの電車から針でつけば泣くようなコンディションだったなと思う。今日は辛いニュースも多くスマホはあまり触らないことにする。

先々週の通し動画を観ながら代役に入る人の出ハケ動線確認。

多田智満子『魂の形について』の冒頭の言葉、

「いかにはるかに顕たりしものかたましひの樹木に透る風となるまで」

明らかに好きな言葉の並びなのに意味が分からなくて辞書で引いたりなんどか音読してみる。

「本は読めない」という言葉は、『本は読めないものだから心配するな』でも『切り取れ、あの祈る手を』でも出てきていたことを思い出す。知らない言葉や知っていても使いこなせていない、身体感覚の伴わない言葉がまだまだたくさんあるなと思う。

伴侶の職場の来月の予定を聞いて、観覧の子どもたちへの声がけの言葉選びについて相談にのる。

寝室がキンキンに冷えている。話題の重たい毛布ほしいな、と呟いて就寝。

 

 

2021.11.23

朝起きて頭痛。伴侶を送り出して二度寝

いただいた白菜の半分を塩して陰干し。

ぎりぎりまで横になって出発。

隣の子どもたちの号泣対策で買った耳栓は意外と電車で使うことが多い。朝出勤の人たちとちがって昼移動の人たちは複数でよく喋っている。

耳栓、聴覚過敏をとるか触角過敏をとるかの究極の選択になるので長時間は厳しいけど、そんなに月日のあたりも音多くないので電車くらい。

出勤。ややパタパタ。締め作業を教える。退勤。

昨日の驚きは少しずつ落ち着いてきた。よかったなあと思っていたことがわかってきた。

大人になることは本当によいことだなあと感じる。自分の思う幸せとは違う形を相手が幸せなら祝福できる。唯一無二にはなれなくてもいろんな形の相思相愛があることを知る。

電車で現代思想ルッキズムを考える」。

夕飯は蕎麦。今日は二八。大根おろしと出汁巻玉子。

「自分は〇〇に偏見ないんだけど」という言葉で何を伝えたいかがわたしにはわからない。

全方位に偏見がゼロな人はいないというスタート地点がなく、自分は差別などしたことがないという態度で話す人のことを本当には信用できないと思っている。

ただただ流れ続ける思考を日々書き留めておけば私も少しは賢くなれるだろうか。

  

 

2021.11.22

朝。眠い。

コーヒーを飲んでぼーっとする。何が食べたいかわからず朝食はなし。

稽古準備を用意する。

お昼は白菜と野菜いくつかを小さい鍋にして、ご飯とおろし納豆。

出発。どんどん曇り空に。

山に登ったことが少しずつ言葉になって来た。

約2年くらい「〇〇だから行く」「〇〇を考慮して行かない」というような、自衛や公衆衛生と生活を考えて移動するか決める思考にすっかり慣れてしまっていた。その気になればわたしはどこへでも行けるという感覚や、シンプルにそこは行きたい場所なのかを自分に問うことそのものを取り戻したかったんだと思う。

今まで「見たい展示や観たい公演、会いたい人がいるから」という目的があってその場所に行きたいという希望が多い人間だったのに、「(景色など見るものはあるにせよ)目的そのものが行くこと」である登山を急にしたくなったのもそれでなのかなと考えた。自分は行けるという実感。

ご年配のかたが多くハイキングにでかけるのも歩けるうちに「自分は行ける」という感覚が味わえるからなのかな。主語がでかいな。

散歩はもともと好きなので、歩くこと、行くことについてもうちょっと考え続けたい。

電車の窓から雨を眺める。

14時ごろ甲府着。30分ほど駅で買い物したりなんだり。

劇場着。談笑しつつ前回からの段取り確認、改めて不要なセリフカット。寝かせてあったので全員冷静。

途中サプライズの電話一件。めでたい。

心の波立ちを感じながら稽古に戻る。ほぼ全ての段取りがついた。伴侶合流。

稽古終わり。駅まで送ってもらう。冗談を言い合う中で甲府のラブホテル事情を県民から聞く。おそらく一生活用できなそうな話をまた真面目そうな人が真面目に語ってくれるから爆笑した。

帰りの電車。ぽつりぽつり今日のことを話したり、市民ミュージカルの方の台本確認。

駅から自分たちのいないところで人が変化していくことの喪失感やさびしさについて話す。寄る辺なく感じたり本質的に孤独を感じるときの癒やし方は伴侶とわたしには明確なギャップがあるので、それを分かち合えない寂しさは一生ものだと思う。けど対話する姿勢など、私たちが満足している面で分かち合えない寂しさを感じる人もいるのだろうし、全ての穴を一人の人間で埋めるのは無理だと思う。

今日はコンビニご飯はつらいので、帰って食べることにする。

帰宅。野菜の蒸し焼きのパスタ。旬の白菜は噛むほどに甘くておいしい。

小学校演劇の本番と本番の中日はどうする?と確認したら稽古が入るかもしれないから開けてある。と返事があった。

仕事モードの返事で、わたしの誕生日なことはやはり抜け落ちてるな、と思った。し、言った。いつもなら平気なハレの日へのうとさが今日の寂しさをマックスにした。毎年こういうやりとりがあって誕生日近く、一回は落ち込んでる気がする。だんだん忘れてしまうようになるというよりもともと特別な日を認識するのが苦手なんだからまだいいのかもしれない。

静かに寝る準備。なかなか寝付けず布団のなかでジタバタする。思えば情報量の多い1日だった。

BEASTERSの続きを読んでるうちに寝落ち。

 

 

2021.11.21

朝。だるそうな伴侶のお弁当づくり。

3食丼(鶏そぼろ・炒り卵・小松菜)を渡して送り出した。

眠い。気圧が落ち始めてぐったり。出発ぎりぎりまで横になる。自分の輪郭がこのままでは取り戻せないと思い熱めのシャワーを浴びる。

出発。定期を忘れて駅から家に取りに帰る。再出発。『切りとれ、あの祈る手を』を読み進める。ウルフと革命についてのくだり。

出勤時間に間に合ってよかった。暗く曇っている。夕方から気圧が大きく低下。退勤。

帰りの電車でぐったり。インスタのストーリーに上がっている友人の子どもがクーピーの出し入れにはまっている様子を見る。育っている!

電車の席の向かい側でカップルがお金のことを話していて、(彼氏がなんかの振り込みを忘れていたらしく)彼女に理論立てて冷静に説教されていていたたまれなかった。感情的に怒られてたらもっといたたまれないだろうけど…。

その光景の影響もあってか今日を振り返ってめそめそしていたけど、途中で認知の歪みを発見して切り替えよとなった。

あとおなかが空いてることにも気づいた。

帰って来たら米俵みたいな立派な白菜が玄関に置いてあった。大家さんからだったのでこれは同じものがお隣さんにも行ってるな、おすそ分けは無理だと思う。そして3日前に買った1/4カットの白菜はまだある…。旬のおいしい印の黒い点々がある。どんどん食べなくては…。

しかし今日はどうしても料理する気になれなくて、昨日食べなかったほうのピザを食べ始めた。クアトロフォルマッジと書いてあったけどトマトソースの上にチーズがのっていて、これはマリナーラじゃない?と思ったけどおいしかった。

来月の予定について二人で相談して友人に返信。

会話のながれで、心は怒っているけど怒りたくないときに身体に溜まったエネルギーをどう発散するのがいいのかについて話し合う。

発散より前に伝えて対話を深めるべきという伴侶の意見はもっともだけど、自分が心身の手綱みたいなものを完全にコントロールできてるとはとても思えないので、無意識に相手に暴力や圧力をかけてないか、それに自分で気づけるか考えるとなかなかその場で感情を伝える選択は正しくないと思ってしまう。間柄もあるけど対話になるかどうかもあるし…。うーん。あとは後から怒っていたんだ自分と気づくパターンもある。

そもそも自分には許せる人やマイナスなことが響かないひとが美しいと思っている節があって、怒ったことの原因よりも負の感情を露わにさせられたこと自体に腹が立つという自意識過剰なところがあるんだと思うのよ、というと伴侶に「言いたいことはわかったけど、知らんがなと思っちゃうな」と笑いながら言われて正直だなと思った。「お外はね、こんながっぷり四つで対話できる状況ばかりじゃないんですからね」と捨て台詞を吐いた。でも前よりずっと自分には認めたくない感情があると認識できるようになって、正直に考えていることを他者に言えるようになってきていると思う。

「〇〇さんに会いたいなあ」というと「会いに行って来れば?」と言われてあなたは本当ぜろひゃくですね〜となった。

風呂。お風呂のなかでも思考が止まらなくなってしまいのぼせて出る。水を飲んで少し休む。

今日から新しいストレッチメニュー。

伴侶、結婚記念日に舞台監督の仕事を入れていた。「報連相わーい!」と突っ込んで一人で飲みに行くかもしれませんなと予告した。

 

2021.11.20

朝起きてぼんやり。

昨日の蒸し野菜の残りをお味噌汁にして小豆粥、おろし納豆と食べる。しばらく大根おろしにはまりそうな予感。

掃除機をかける。いい天気。

出発間際までセーターの毛玉を取る作業。ホグワーツに入学したら最初の授業でセーターの毛玉を一掃する呪文を教えてほしいと毎回思う。

出勤。昼番。月日にはNさんが多い。退勤。

伴侶の群馬からの帰りの電車が一緒だったので駅で合流。

再び腰がやばいそう。スーパーでおつかれさまでしたの海鮮丼を買う。橋を渡りながら「老後」という言葉についてどう思うか聞かれて答える。

帰宅。伴侶は海鮮丼を、私はピザを食べる。

来年の公演の殺陣の打ち合わせの話を聞く。流れで殺陣をしていて起こるゾーンとか相手に没入する喜びの話。

食べ終わって伴侶が仕事をし始めたので隣で力尽きて寝落ち。

 

 

 

 

2021.11.19

月日が大きなショッピングモールの一角にリニューアルオープンする夢を見た。Kさんがセール中のABCマートヤマダ電機のような派手なハッピというか上着を着ていて、おおう…と思うと同時に見境なく集めたらこんなに日記ってあるのか〜と店舗の大きさに驚く夢だった。

布団の中でぐずぐず。いろいろあって機嫌が悪かったが、伴侶に変な踊りを踊られて見ているうちに少し笑ってしまい色々どうでもよくなった。起きてきて縁側からパクチーを摘む。なますを作って目玉焼きのバインミー風サンドイッチ。

以前一人暮らしだったころオムレツにスイートチリソースをかけるのにハマってくる日もくる日も食べていたことを思い出した。同じものを食べるこだわり、伴侶と暮らしだしてからはわりと落ち着いている。

コーヒーを淹れて飲む。伴侶の刀に関する説明の文章を相手に送信する前に読んで校正。

軽く片付け。観葉植物とハーブを外に出した。水やりがてら外に出た伴侶が近所のみなさんと談笑する声が聞こえてきた。急遽そこそこの人数の人と会っても無目的な会話の波に乗れるの羨ましいなぁと思いつつ、伴侶が切り開いたご近所付き合いに乗っかることが圧倒的に多いのでありがたいなあと思う。迷ったものの出ていかず静かにコーヒーを飲み続けた。 

戻ってきた伴侶が荷造りを終え明日の現場に必要なものがあるので高尾のショッピングモールへ。電車のなかで横道誠『みんな水の中』読了。『自閉症の女の子が出会う世界』の後に読んでよかった。重なる参考資料があったのと『自閉症の〜』を読んで「それはジェンダーバイアスでは?」と思うところにも言及があった。

社会的役割は他者からだけではなく内面化した自分が強化したら再生産していることも大いにあるという話。横道さんの偏愛というかこだわりの描写を読んで、わかる…!となることも多く、もっと自分の恍惚とするポイントを言語化していけたらいいなと思った。

最近は「境界を越える」描写が自分にとって抗えない魅力を持つことがよくわかってきて、抽象的でも写実的でも会話でも行動でも演劇で「劇的」とされるシーンには越境の描写が必ずと言っていいほどありとても好きだ。残酷だったり、数奇な運命が重なっての「劇的」より、誰かや何かが後戻りできない一歩を踏み出す「劇的」がすきだ。

ワークショップ内でも稽古場でも創作の過程の中で安全で無目的な会話ではたちいかない対話が必要で、そういうことなんだと思う。

母に読んだ本についてLINE。子どもの頃からのことで腑に落ちたことや今後のアクションについて相談。心理カウンセラーの母に相談ってなんかタダ働きさせてるっぽいな…。

伴侶の買い物に付き合って手芸屋さんで布を買う。伴侶はこのまま群馬へ。

分かれてから銀行へ寄って帰る。

安倍川餅を食べながらお茶。日記を読み返していると「橋を渡る」描写がよく目に止まる。そういう時期なのかも。「食べて、祈って、恋をして」の一節を思い出した。

attraversiamo. 向こうへ渡ろう。

夕飯づくり。チーズオムレツ、山芋としめじのソテー、白菜とにんじんの酒蒸し。朝のなますとたくあん。

夕焼けがすごい。月食はやや曇っていてぼんやりしていた。

月日会報の日記を送信する。

片付け。編み物を少し進めて寝る用意。就寝。