2023.01.13

2023年1月12日(木)

月日朝番。

今回の生理はそこまで重くないものの腹部の鈍い痛みが後半になっても続くので、もう元気だなという感じになかなかならない。

仕事終わり、シネリーブル池袋で伴侶と待ち合わせてNTL『レオポルトシュタット』を観た。ユダヤ人一家の歴史を叙事詩的に描くことで、トム・ストッパード本人の血やアイデンティティとの向き合うことと、現代の観客へ上演する意義をこのクオリティで両立することは可能なんだなと思った。結び目と繋がる糸。数学のイメージ(アルカディアを思い出した)。揺れる記憶。その人を固有の存在たらしめる、同時に文化や人種を内包する名前。 演奏を教養するシーンがあり、知らない曲を止められたりしていたので西洋音楽史に詳しい人はどう思ったのか気になった。ハヤカワ演劇文庫の出版が楽しみ。

見終わったあと少し歩きたくなり、話しながらジュンク堂の方へ行きコンビニで税金と年金の支払い。

そのままジュンク堂で瀬戸夏子さんと水上文さんの共同責任編集で気になっていた文藝とリディア・デイヴィスの『話の終わり』購入。

映画館で邦画の予告を立て続けにみてたまたまかもしれないけど、心情を吐露するシーンで叫びすぎではないかと思った。声を荒げることと叫ぶことは違うし、実際の日本語の対話をみていてなかなか叫ぶシーンを見かけない。(対話になってないコミュニケーションで一方的に叫ぶ人を見たことはあるけど)叫んじゃいけないわけじゃないし映画の本編を観たわけではないけど。『レオポルトシュタット』がそのあたりの会話のやり取りがすごくうまくいっていただけになんでなんだろうと思った。

ラーメンを啜りながら伴侶と、名前の持つ「これ」性と家父長的な描写、文化やアイデンティティの説明が自動的になされることについて話す。全体的に役に名前のない戯曲で名前のあるキャラクターが突如現れる作品に携わっていたのでその比較。

帰りの電車で「あなたを閉じ込める『ずるい言葉』」読了。『話の終わり』を読み始める。初めから記憶の揺らぎがこれでもかと主観的に描写されていて、今日はそういうものを味わう日かなとぼんやり思った。

帰って2日目のおでんをつまみながらビール。

 

2023年1月13日(金)

朝方間違えてお隣さんの家に帰ってしまう夢。カナダとか遮る建物のない広大な土地で聞くようなつんざくような大きな雷の音で目が覚めた。それも夢だった。

完全なオフ。暖かい一日。伴侶は今日から劇場入りでホテルに泊まるので、見送って一人になってからは電池切れのように眠ったり、本を読んだり、グリーンを外に出して縁側でぼーっとしたまま葉っぱを一枚ずつ拭いたりして過ごした。

引き続きおでんを食べた。まだ鈍く腹が痛い。