2022.04.08

朝。

起きてきて茹で卵を茹でる。川沿いの桜並木までコーヒーとパンと茹で卵を持って行って食べる。伴侶と少し湿ったベンチに座った。

断続的に桜吹雪。最近の興味関心について話す。

言いたいことや気になることはたくさんあるのに、私はテーマが絞り切れていないから物が書けないのかもしれない話。

伴侶のステートメントを印刷して帰宅。トレッキングシューズに防水処理する。くさい。

朝ドラの最終回を録画で見る。好きなところもたくさんあったドラマだったけど、あまりに中心に絡んでくる立ち位置に白人、しかも目や髪の色素が薄い人たちを「外国人」の表象として配置していてうっとなることも多かった。

日記祭のミーティングをzoomで30分。いよいよ。なぜか伴侶の名前がデフォルトになっていて直す。終わった後プロフィールを確認したけど自分の名前になっていて謎。嫌だな。

昼はカレーうどん。稲松家の作り方。

13時にトレッキングシューズを履いて出発。延々と歩いて藤野の温泉へ。

新しい靴に慣れること、体力をつけることが目的。大体2時間15分ほど。本格的な山道やハイキングコースには入らないものの、勾配もありいい訓練。いろんな種類のすみれや桜がたくさん咲いていた。

歩きながら「歩く」ということがテーマの演劇はないのではないかと考えていた。ミュージカルの曲が時間を縮める効果によって移動が短時間で描かれることはあるけど、台詞劇においては「何処かから人は歩いてきて、立ち止まり、他者や状況に遭遇して物語やシーンが始まる」し、出て行くと「退場」となる。観客は座っているので、「歩くことそのもの」をリアリズムの手法で取り上げること自体非効率な気がする。登山を描くにしろ舞台設定は山小屋や休憩できるような場所になるだろうし。

ドタバタコメディのように移動のタイミングが効果的に使われることはあってもそれは主題ではないしなぁ。映像は歩く過程が描ける。実際歩く風景が変わることが大きいのかも。

歩くことをやめなければ言葉を交わすことは出来ても劇的な深い対話は始まらない。本当だろうか。「夜のピクニック」の映画を思い出したりしたけれど、演劇にするのは難しそうだと思った。

温泉についたときには、足がだるくなっていた。これはまだまだ鍛えないといけないだろうな、と思う。歩く癖に気づいた報告。

露天風呂は桜がよく見えて気持ちよかった。女湯はとても空いていた。ストレッチしたり足を揉んだりしながら浸かる。

上がって帰りはバスと電車。

スーパーに寄ってラップを買って、餃子を買って帰宅。

ラーメンと餃子セットを作って食べる。