2023.01.11

2023年1月11日(水)

起きて動く。伴侶以外と寝起きしていた緊張が抜けてきたのか目が覚めてもすぐ動き出せない、人の形になる自分の輪郭を取り戻す時間が必要な通常の寝起きモードになってきた。電車で『あなたを閉じ込める「ずるい言葉」』

月日朝番。生理二日目のだるさがあるけど痛みはなく落ち着いて働く。

おそらく相互フォロワーのデザイナーさんがボーナストラックを案内されていて、先方を紹介されたら名前を名乗ろうかなとどきどきしてたら、「知り合いです。ここはこういうお店で〜」となったのでそのままペコリとして作業に戻った。

「ここはスタッフさんも面白い人多くて〜、〇〇してる人とか、〇〇さんとか〜」とここにいない人の名前をあげてるのを聞いて「面白くなくて悪うござんしたな」というやさぐれた気持ちになったが、2秒後にああ生理中だな、と思った。後からやっぱり相互フォロワーの方だったと知る。どうしても話したかったら私から言えばよかったんだしそういう選択がベストの日だったと思うことにする。

ショックなことがあった時、そこにいる人たちがどれだけ大切でも切り替えられるまで輪の中に戻れなかった場面を思い出していた。どのみち切り替えられるなら集合写真に入るべきだったのに、私は入らなかった。し、誰も入るように促さなかった。出演しないアシスタントとしての身の置き場に自分が戸惑っていたのがその瞬間に集約したのかもしれないし、「みんな」ということを文字通り「全員じゃないと嫌だ」と思っていたのが自分だけだったように(勝手に)感じて距離を取ろうとしてしまったんだと思う。あの瞬間の演出陣への気持ちというか喉の奥がぐっと詰まった感じは忘れないだろうな、と思いつつ、広い目で見たら誰も意図して誰かを疎外していたわけじゃない(しかもヘトヘトになっていた)し、私の判断は演出陣からも参加者からも独断でも信頼されていたからこそ未確認だったとも言える。私もその後の関係者全員の写真には収まったんだし、変わらずみんなが大切なんだし本心から離れたくない以上、時が流れたら自分に都合のいいように納得するんだろう。どうしても無理で逃げ出した場所もある。そこのセンサーを大事にしたい。とはいえ参加者やメンバーにとってもっといい環境にしていくための進言はやめないぞ、と思う。仲良くいたいがためにそこを諦めるならやめ時なんだと思う。

勤務中に月日の子ども向けWSのツイートをリツイートする。改めて月日にいるときの自分の穏やかさやおとなしさと演劇WSをしている時の体や声の状態が違いすぎて、自分が日記WSでどうなるのか予想がつかない。多分表現前提の能動性の必要な対話と、接客で気遣いたいというモチベーションでの能動性の違いだと思うのだけど、日記WSはどっちがメインで必要なのか全員その部屋に揃ってみないとわからないなと思う。

ようやく2022年を振り返りたい気持ちになってきたのかもしれない。というか振り返る余裕が年始にはなかった。いろいろな人からずっと「繊細」だと評価を受けてきて自分でも実際そうなんだろうと思うけど、具体的に他の人がどれぐらい刺激が気になるのか(もちろん人によるけど)わからなくて、気づかなかったとか気にしすぎでは?と言われるたびにここか〜〜!!とびっくりしていた。そして実際繊細だとしてそれ自体は良くも悪くもなく環境や協力体制に入る人との相性次第だと思う。ASDADHDの本やドラマのおかげで家族や友人、仕事で一緒になる人に自分について説明を試みる機会も増えて自分の中でのルールも家の中のルールも随分整ってきたと思う(失敗は引き続きしている)

イヤーマフのおかげで外出の安心というかしんどくなった時の心の準備ができる部分も増えた。買って(もらって)よかったもの2022第1位だな。本を10冊選ぶやつもやりたいな

ノートにコーピングリストを作った。

おでんの材料を買って帰る。爆睡。

起きてきておでんを作る。

お鍋ぎりぎりまで具がいっぱいのおでんを煮込みながら戯曲のコメディの構造についての動画を見た。

伴侶が帰ってきて食べてみるとかなり薄味。

生姜醤油をつけて姫路おでんにする。