2021.11.21

朝。だるそうな伴侶のお弁当づくり。

3食丼(鶏そぼろ・炒り卵・小松菜)を渡して送り出した。

眠い。気圧が落ち始めてぐったり。出発ぎりぎりまで横になる。自分の輪郭がこのままでは取り戻せないと思い熱めのシャワーを浴びる。

出発。定期を忘れて駅から家に取りに帰る。再出発。『切りとれ、あの祈る手を』を読み進める。ウルフと革命についてのくだり。

出勤時間に間に合ってよかった。暗く曇っている。夕方から気圧が大きく低下。退勤。

帰りの電車でぐったり。インスタのストーリーに上がっている友人の子どもがクーピーの出し入れにはまっている様子を見る。育っている!

電車の席の向かい側でカップルがお金のことを話していて、(彼氏がなんかの振り込みを忘れていたらしく)彼女に理論立てて冷静に説教されていていたたまれなかった。感情的に怒られてたらもっといたたまれないだろうけど…。

その光景の影響もあってか今日を振り返ってめそめそしていたけど、途中で認知の歪みを発見して切り替えよとなった。

あとおなかが空いてることにも気づいた。

帰って来たら米俵みたいな立派な白菜が玄関に置いてあった。大家さんからだったのでこれは同じものがお隣さんにも行ってるな、おすそ分けは無理だと思う。そして3日前に買った1/4カットの白菜はまだある…。旬のおいしい印の黒い点々がある。どんどん食べなくては…。

しかし今日はどうしても料理する気になれなくて、昨日食べなかったほうのピザを食べ始めた。クアトロフォルマッジと書いてあったけどトマトソースの上にチーズがのっていて、これはマリナーラじゃない?と思ったけどおいしかった。

来月の予定について二人で相談して友人に返信。

会話のながれで、心は怒っているけど怒りたくないときに身体に溜まったエネルギーをどう発散するのがいいのかについて話し合う。

発散より前に伝えて対話を深めるべきという伴侶の意見はもっともだけど、自分が心身の手綱みたいなものを完全にコントロールできてるとはとても思えないので、無意識に相手に暴力や圧力をかけてないか、それに自分で気づけるか考えるとなかなかその場で感情を伝える選択は正しくないと思ってしまう。間柄もあるけど対話になるかどうかもあるし…。うーん。あとは後から怒っていたんだ自分と気づくパターンもある。

そもそも自分には許せる人やマイナスなことが響かないひとが美しいと思っている節があって、怒ったことの原因よりも負の感情を露わにさせられたこと自体に腹が立つという自意識過剰なところがあるんだと思うのよ、というと伴侶に「言いたいことはわかったけど、知らんがなと思っちゃうな」と笑いながら言われて正直だなと思った。「お外はね、こんながっぷり四つで対話できる状況ばかりじゃないんですからね」と捨て台詞を吐いた。でも前よりずっと自分には認めたくない感情があると認識できるようになって、正直に考えていることを他者に言えるようになってきていると思う。

「〇〇さんに会いたいなあ」というと「会いに行って来れば?」と言われてあなたは本当ぜろひゃくですね〜となった。

風呂。お風呂のなかでも思考が止まらなくなってしまいのぼせて出る。水を飲んで少し休む。

今日から新しいストレッチメニュー。

伴侶、結婚記念日に舞台監督の仕事を入れていた。「報連相わーい!」と突っ込んで一人で飲みに行くかもしれませんなと予告した。