2021.10.11

出勤。電車で真夏日の可能性ありの天気予報を見る。

アイスコーヒーやレモネードを仕込む。夏のような蒸し暑さ。月曜日は掃除が捗る。

退勤。

帰りの電車は引き続きウーウェンさん。小豆のお粥とハトムギのお粥がおいしそう。

先日手伝った現場の終演挨拶に「なけなしの社会性を補ってくれた当日運営」というような言葉があり、人のなけなしの社会性を自分のなけなしの社会性が補っていたのか…とおもしろくなる。

帰宅。

大福とコーヒー。昨日鬼滅観忘れたねと話す。

お隣さんにブラウニー2切れもらう。お返しに今朝採れたピーナッツ。上の子に伴侶が殺陣を竹の棒で教える。おじいちゃんもやりたいとのことで3人で練習していた。

ご近所さんが大家さんと作った出来立てこんにゃくをもらう。卵も。生かされている。

柿渋を重ね塗りしたクラフト紙で箱を2つ作った。布と毛糸を入れる。合間にスケジュール確認の返信。宣言明けで動き出した企画や延期からずれ込んできたものでカレンダーが埋まってきた。人と会える。人と会わなければいけない。なけなしの社会性を使いたいところで惜しみなく使うためのリズムが2021年まだ見つかっていない気がする。

プールのように浅いところからまた初める必要があるのではないか。何十人相手に稽古したり、何百人相手に舞台に立つ前に。

一人でできるトレーニングでは保てない部分があって、なんで演劇やってんの?と聞かれるほど疲弊しながらでもやりたくてやる唯一の集団行動で長年かけて少しずつ鍛えてきた筋力(精神力?)がもともとの弱さに近いところに落ちているのを感じる。感覚過敏で何年もかけて少しずつ慣らしてきた爆音や強い照明も、いまは辛くて頭が痛い。夜は真っ暗な田舎に越したこともあると思う。都会には都会の、田舎には田舎の刺激があって田舎はとかく穏やかみたいなのも嘘だけど。光や音はまた舞台で慣らして耐性を積み上げていくしかない。でも日常が戻ってきたからという認識でこれまでの他者へのコミュニケーションの積み上げかたで以前の自分ができていた段階に戻すことが本当にやるべきことなのか?というかできるのか?と思う。本番ができるようになっても以前の日常と今は違うと確信してからやれることがあるのではないか?とも思う。それがなにかはわからない。心臓に負担がかからないように足先から少しずつ水をかけるような時間を自分なりに想像して参加者に会う前に組むことにする。

家の中もそろそろ完全に片付けてすっきりしたいところ。亀のように少しずつ進んでいる。

夕方早めに風呂。カモミールのリンス。

夜はハヤトウリとピーナッツの味噌炒め、白菜と小松菜のお味噌汁。